現在放送中の朝ドラ『あんぱん』。
“おなかのすいた人にパンを配る”というヒーロー像の原点とも言える本作の主人公・嵩(たかし)は、アンパンマンの作者・やなせたかしさんがモデルとなっています。
ドラマを観ていて、
そんなふうに気になった方へ向けて、やなせたかしさんの実際の戦争体験や、アンパンマン誕生の背景をわかりやすく解説した動画を紹介します。
📺 実話解説動画はこちら(約9分)
▶️やなせたかしはなぜ「戦争は大きらい」と語ったのか|弟の死・宣撫班の罪悪感・アンパンマン誕生の真実
✍️ やなせたかしが体験した“戦争”と“喪失”
やなせさんは昭和16年、若くして中国・福州の宣撫班(せんぶはん)に従軍。
紙芝居やポスターを通して「日本軍は怖くない」と伝える“宣伝係”として活動していました。
また、彼の最愛の実弟・千尋さんは、志願によって輸送船で出征し、フィリピン沖で戦死。
享年わずか22歳。遺骨も戻らず、やなせさんはこの出来事を一生忘れることができませんでした。
その心情は、詩集『おとうとものがたり』や『海彦・山彦』に強く刻まれています。
📘 「ぼくは戦争が大きらいです」と語り続けた理由
やなせさんの有名な言葉──
「ぼくは戦争が大きらいです」
この言葉の裏には、
「弟を救えなかった後悔」
「芸術で戦争に加担してしまったという罪悪感」
があったと言われています。
戦後のやなせさんは、“本当の正義”とは何かを模索し、「命を使って人を助ける」ヒーロー像を描くようになります。
🍞 アンパンマン=反戦のヒーローだった
アンパンマンは、自分の顔をちぎってでも困った人を助けるヒーロー。
正義のために敵を倒す“強いヒーロー”ではなく、やさしくて、痛みを知っていて、誰かのために自分を使うヒーローです。
やなせさんが戦争を経てたどり着いたのが、この“戦わない正義”だったのです。
そして、あの名曲『アンパンマンのマーチ』に込められた思いも、戦争と深くつながっています。
📺 もっと知りたい方は動画でどうぞ
本記事で紹介した内容は、すべてこちらのYouTube動画でくわしく解説しています。
💡 朝ドラ『あんぱん』の世界観と照らし合わせながら観ると、
ドラマのセリフやシーンの意味がさらに深く感じられるはずです。
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✉️ まとめ|命と向き合う“物語”を、いま知る
「なぜぼくだけが生きのこり、ここにいるのか」
弟を失い、自らも“加害者”の立場に置かれたことを忘れず、
それでも“誰かを助けるヒーロー”を描き続けた、やなせたかしさん。
その想いがこもったドラマ『あんぱん』とアンパンマン。
そして、語られなかった実話。
この機会にぜひ、一緒に感じ取ってみませんか?

